村上陽子『出来事の残響』書評セッション(2015年9月きむすぽのお知らせ)【終了】

 叙述態研究会(きむすぽ)のお知らせです。

 

日時:2015年9月4日(金)18時から

場所:国立オリンピック記念青少年総合センター センター棟408教室


【著者セッション】

村上陽子『出来事の残響―原爆文学と沖縄文学』(インパクト出版会、2015年7月)

コメンテーター:平井裕香、戸邉秀明

司会:岩川ありさ【企画趣旨】(岩川ありさ)

 

 今回のきむすぽでは、『出来事の残響―原爆文学と沖縄文学』(インパクト出版会、2015)の著者である村上陽子さんを迎えて書評セッションを行う。村上さんは、本書で、「原爆文学」と「沖縄文学」という二つの領域と対峙し、その歴史的・文化的な差異を見つめながら、言葉にできないほど衝撃的な出来事を生き延びた書き手によって書かれたテクストを詳細に読み解いている。 

 広島での被爆体験を描いた大田洋子「ほたる―「H市歴訪」のうち」(一九五三年)、「半人間」(一九五四年)、占領下の沖縄を描いた長堂英吉「黒人街」(一九六六年)、大城立裕「カクテル・パーティ」(一九六七年)、復帰翌年の沖縄を描いた嶋津与志「骨」(一九七三年)、そして、長崎での被爆体験を描き続けている林京子「祭りの場」(一九七五年)、『ギヤマン・ビードロ』(一九七八年)。本書で扱われるテクストは多岐にわたっており、著者である村上さんは、意味づけられないまま残る「残響」を聴きとろうとする。

破壊的な出来事の底には、証言の主体となることができない多くの存在が沈んでいる。その存在が発する呻きや泣き声、叫び、骨がこすれ合って生じるかすかな音――それらの響きはいまにも消えていこうとしながら、それでもなお空気を震わせている。留め置かれる響きの中で、語ることのできない存在はいまなお生き延びているのではないか。本書では、その響きを出来事の残響と捉えた。(本書七頁)

 冒頭のこの文章でも示されるとおり、本書は、今にも消えてしまいそうな響きへと耳を澄まし、他者から呼びかけられた瞬間にはじまる文学テクスト分析の実践を行った稀有な一冊である。

 しかし、それだけでなく、本書には特筆すべきことがもうひとつある。最終章を読むと、二〇一一年三月一一日の東日本大震災と原子力発電所での事故のただなかにいながら、原爆や原発と真正面から向かいあってきた文学を読み直すことの意義について書かれており、核と占領の時代において、どのようにして傷や痛みと向かいあえばよいのかをも本書は問うている。 

 自らが体験したのではない記憶をどのように受けとればいいのか。村上さんは、又吉栄喜「ギンネム屋敷」(一九八〇年)、目取真俊「風音」(一九八五年初出、その後加筆修正され一九九七年に『水滴』に収録)、「水滴」(一九九七年)といった、戦後生まれの作家による小説をとりあげて、あふれだすような他者の記憶に触れてしまい、「共振」する瞬間がテクストに現れる瞬間を明らかにする。村上さんの言葉でいうと、「一つの出来事への直面が、別の出来事に対して扉を開くことがある」(本書二七七頁)のだ。

 本書評セッションには、「原爆文学」と「沖縄文学」に興味のある方はもちろんのこと、現在の暴力的な出来事に抗いながら、文学の言葉を信じるすべての方にご参加いただければと願っている。

 

【著者紹介】

村上陽子(むらかみ・ようこ)。1981年、広島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、成蹊大学アジア太平洋研究センター特別研究員および大学非常勤講師。専攻は沖縄・日本近現代文学。


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